6月の稽古もそろそろ終わろうとしています。6月は休憩した茶事も、直ぐ足元に近づきました。今回は少し趣きを変えて新鮮な茶事にしなくてはと、珍しくソワソワしています。

七夕の夜、人々は笹を立て、その枝先に、願い事を書いた短冊をつるす。古の人は、芋の葉に降りた朝露を集め、それで墨を摺り短冊を書いたと伝えられています。これは朝露が天の水であると思い感謝を表した風習なのでしょう。聞きなれない乞巧奠とは“巧みであることを乞う”と云う深い意味があるようです。例えば農作物を飾り収穫に感謝したり、自分が創った作品などを飾る。現代子供達の行事として残った短冊飾りは書道の上達など意味するお祀りであると思います。7月2日金沢に移動して4日から4回の茶会を予定しています。私自身・会を重ねた七夕茶会です。感謝の気持ちを亭主として思考する この時が一番幸せなひと時です。

2回目の蕉雨園の発表会はアトラクションも加えて、八丈太鼓の仲間を招きました。午前・午後の2回園内の野点席の空間で行いました。珍しい太鼓でみなさんに好評でした。

千葉からは、竹の器を作り・絵模様を模った玉子巻きを入れて販売しました。これも地元の方の手作りなので大好評で、あっという間の完売でした。美味しかった味を思い出します。

毎回新しい趣を発表したので創作力にも苦心があります。広範囲の弟子を平均に纏めるのもエネルギーのいることでした。しかし過ぎ去れば楽しい思い出ばかり残るものです。



もみじの紅葉の時期を選び3日間の豪勢な展覧が叶いました。〝今ならできる”という気持ちの盛り上がりがこのような素晴らしい会を実現したのでしょう。
40歳になった頃です。東京で稽古されたみなさんの展覧会を3年ごとに発表していました。銀座松崎画廊の会は2回・銀座4丁目の日産ギャラリーの展覧会も2回ありました。右は院展・平山郁夫先生の鎌倉会に所属なさっていた方が描いて下さいました。


子歳を祝う展覧会は、新宿御苑で、裏千家の藤谷先生の濃茶席・志野流の香席などにも協力頂き、賑やかに梅見を兼ねた会を楽しみました。婦人画報の〝キモノ拝見”の撮影もありました。


身内のように、また姉妹のように親しくして頂いた方々も今よりずいぶん若い!写真は〝それなり”に写りますね。














銀座・日産ギャラリーの展覧会には、宮本信子さんも駆けつけてくださいました。アトリエのみなさんも大歓迎やはり宮本さんも若いですね。


人に教えるようになると日常の大切にしていた道具や稽古道具に仕覆を付けるという喜びを得ました。道具は、それぞれ個々の思い出も詰まっているので愛着のあるものです。2つの会のまぜこぜスナップですが、若かりし日の思い出をアップしました。思いを一つにした展覧は楽しかった。皆様の協力に感謝です。

昭和からそろそろ平成へと移ろうとする時代、私は倉敷に招かれて小原流の花展と仕覆の展示を紹介したことがあります。ここは昭和天皇の宿泊所として使用されるなど 大原家別邸後は来賓館として使用され、長く非公開とされてきましたが、春・秋の二回特別展示室として公開されています。招く側と招かれる私も手早く支度して当日を迎えました。

この頃は時代切れの表具に凝り夢中になっていたことを思い起します。午前と午後の休憩には、日替わりの演奏会などもあり、ゆったりと贅沢な時を過ごしたものです。


展示してある部屋は広間・木々の囲まれた庭は美しく今思い出してもはっきりとその映像が甦えります。失われつつある手仕事・〝芸は身を助ける”の言葉通り手ごたえのある半生を思い切り全力投球できたことは幸せでした。風のように駆けて来た私は、あまり昔を懐かしがる暇もなかった。年の精かこの頃は懐かしいと思うようになりました。全てやり尽くした人生に悔いはなく満足です。



福井のお弟子さんに誘われて、帰る間際に越前の旅など楽しみました。「何もないのょ福井は・・・・!」と云いながらいろいろ珍しいものに触れた旅です。まず着いて直ぐおやつにと永平寺山門近くの胡麻豆腐の店へ。胡麻豆腐はさりながら「胡麻の絞りかす」を利用して作ったというアイスクリーム(午前中限定)また雪解け水が柔らかく美味しいのには感動。


山門の坂を上るとクーラーのような冷気を感じる。ここは紅葉の葉も滴るような若葉です。大本山へ来たという重厚感は歴史の重みなのでしょう。ゆったりとして堂々とした佇まいは福井の誇れる宝。雲水の説明で寺院の内部を紹介してもらう。22歳秋田出身の青年僧は初々しくまた凛としていて感じが良かった。厳しい修行により悟りを開こうという純粋な姿勢は、まさに若盛りの花をみるようで美しかった。3ヶ月位で受け持ちが変わる雲水の日常生活も説明の合間に伺うことができました。確かに規律の生活は厳しく一般人は気づかない時の流れです。こうした学の場があると若者も人生に喜びを感じられるのでは・・・・!厳しい戒律の中から温かいご飯を口にする幸せ・一枚一畳の布団から温かさと感謝の気持ちを知ったという。幸せは誰の足元にも転がっているもの。うら若き青年の口からこうした重みのある言葉が聞けるだけでも〝ここに来て良かった”と感じました。


傘松閣(さんしょうかく)の格天井は156畳敷き、別名「絵天井の大広間」とも呼ばれています。著名な画家144名による230枚の花鳥風月が描かれていました。

永平寺でゆっくりしたので遅いお昼です。山里に一軒だけある「油揚げの店」は大繁盛です。名物の油揚げと釜飯セットに舌鼓を打つひと時でした。


帰り道「越前竹人形」の開館へ見学。玄関には大きな弁慶の竹人形が待ち受けています。店内の作品は繊細でバリエーション豊かな竹細工・素晴らしかったでーす。


福井が力を入れて宣伝している「恐竜博物館」へも行きました。大きな卵型のドームの中に大恐竜軍団が待っています。大勢のお客様も入っています。ゆったりとした住処は恐竜の天国でした。

最後に玄関の恐竜先生と記念撮影です。4人で楽しんだ福井の旅とても楽しかったです。吉田ご夫妻と北村さん楽しい旅 ありがとうございます。

6月の泉野の稽古も終わり15日お昼には東京の生活に移ります。どうぞよろしくお願いします。毎月慌しい生活ですが、長年の慣れた暮らしなので平気です。帰りの道中は荷物が多くみっともないので透明人間になりたい気分です。毎回の道具の移動は神経を使います。
大宮から長野までぐっすり眠ってしまった。そうだ立山の景色はどうだろう?と車窓を眺める。先月までの神々しい山の景色はまさに一遍して夏山蒼翠にして滴るが如くの言葉通りです。金沢に着いて、さっそく近所のカメラ店にDVDに移したデータを取りにいきました。なかなか整理されていて解りやすい。


目白の蕉雨園で行われた展覧会の写真は私が一番活躍していた頃の記念写真で懐かしい思い出です。
この建物は明治時代の宮内大臣田中光顕伯により明治30年に建設された非公開の施設です。昭和7年に講談社初代社長が購入し、 園内にある松尾芭蕉ゆかりの芭蕉庵、にちなみ、蕉雨園となづけられたそうです。椿山荘に隣接して約6000坪の敷地があり、回遊式庭園に囲まれた明治の貴重な建物。特別な時にしか入ることはできませんが、ドラマの撮影などにもよく使われています。








今振り返り見れば皆さん若かった。たくさんの良い思い出が華やかに甦ります。少し写真の劣化も始まっている。今が良い機会と感じてデジタル保存して良かった。直ぐ資料として役に立つのでやはり便利です。