永井百合子が提案する・・・遊びや茶事の愉しみ


by kuyugengen

皇居における蚕の成り立ち

d0133199_19345941.gif

 宮中での養蚕の成り立ち

世の中に出回っている絹織物の大半は、昔のような良質な蚕の糸からできてはいない。日本文化の衰退はどの業界でも追いつけないスピードで交代しているようです。明治天皇の后が民間への養蚕奨励を目的として始められるようになった養蚕の飼育。そのお気持ちを引き継がれたのが現代の皇后さまです。シルク製品の輸出には多くの繭が必要で、古来品種の繭「小石丸」は極端に少なく使われなくなりました。「御養蚕始めの儀」が紅葉山御養蚕所で式典が行われてから、細かく刻んだ桑の葉を羽帚で与えられる「吐きたて」から始まります。皇居では3か所の桑園があり最盛期には、800kgという桑が必要となる。1齢から5齢まで脱皮して1万倍になり、大きく育つと枝ごと桑の葉を与える。種類は(はっ)(けん)黄繭(おうけん)・天蚕が育てられています。しかし日本の古来種・小石丸は生産性が低く、現在では民間の繭は品種改良された効率の良い繭に変わりました。



d0133199_19325891.jpg


d0133199_19315873.jpg


小石丸を正倉院へ

蚕が繭を創りはじめる前に「(まぶし)」という蚕の住まいが用意される。「小石丸」は藁蔟(わらまぶし)・その他はボール紙・ビニールと3種類の(まぶし)が用意される。(わら)で編まれる(まぶし)は、皇后さま手づから時間を割かれお創りになるそうです。藁蔟に入ると蚕は23日で繭を創り、繭から外すことを「初繭かき」と呼ばれる。藁蔟は表面に凹凸があり繭が作りやすい利点があるようです。蚕は繭の中で脱皮して繭を創る。繭に付いている毛羽は蚕が繭を創る時の足場にするもの。その後毛羽とり機で綺麗な繭になる。そして繭を個々に選別して繭から糸を巻き取る。「双糸(そうし)」の量は20kg60kgとなり皇居から正倉院へと送り出されるそうです。そうした工程の全てを皇后さまのお手により宮中の飼育員と共にお世話されるそのお姿には敬服いたします。




d0133199_19323290.jpg

繭と植物染料から交尾まで

正倉院への織物の復元には植物染料が多量必用となり日本茜などは足りていない。そんな現状をお知りになられた天皇皇后両陛下は、皇居に自生する茜の根を増やし正倉院へ送られて現在の修復に役立って居られます。「小石丸」が羽化しやすいように皇居では、1個々の繭の両側をカッターで穴をあけるのだそうです。(かいこ)()の交尾は、()(りん)の中に入れて卵を産む。1蛾から400個から500個の卵が生まれるそうです。




d0133199_19322621.jpg


d0133199_19324304.jpg

 (てん)(さん)という()(さん)の話

(てん)(さん)という()(さん)の蚕はクヌギや小楢(こなら)の木に生息する。緑の美しい繭を創り最も生産性のない種類で高価な品種です。短冊状の和紙を創り卵を付けて木の枝に止める。これを「山つけ」と呼ばれ2か月で繭となるようです。糸は美しい淡い緑色です。

(


d0133199_19325257.jpg


d0133199_19324871.jpg

生皮(きび)()

蚕が最初に吐く糸は捨てられていましたが最近になり「きびそ」というこの糸の利用が開発されて美しい文様を織り出すことが可能になりました。蚕が繭を作る際に最初に吐き出す糸を「きびそ」と呼ぶ。「きびそ」とは生糸の原材料となる繊維を繭からたぐる糸口の部分で、蚕が繭を作るにあたって最初に吐き出す糸のこと。太くて硬いことから、繊維として生糸に使われることが今まではほとんどなかった。しかし「きびそ」には水溶性のたんぱく質が豊富に含まれ、太さが均一ではなく加工しにくいことから、ゴワゴワした太くて硬いその素材感は従来の絹のイメージとは異なる独自の表情を見せて面白いものです。


d0133199_19562853.jpg

皇后美智子さまの偉大なる功績

生産性がない・効率が悪い・儲からないと世の中から見捨てられた「小石丸」を皇后さまが勿体ないと思われて「愛らしい小石丸を育ててみましょう!」の一言で現在まで途絶えることなく育てられています。吐きたてから双糸・桑の枝の刈り取り・剪定・藁蔟の網までの細やかな農作業をエレガントに行われるお姿は養蚕業として全うされています。まさに日本の母でありましょう。生糸は宮中のドレスから外国の客人への贈り物にもされて素晴らしい自給自足が成り立っています。

小石丸わらの(まぶし)に糸吐きて

          后の御手(みて)に今もいくるや


中国からの渡来品

養蚕は5,000年・6000年前に中国から伝わりました。皇室の養蚕活動は100年前皇居内の、紅葉山御養蚕所で始められて以来、養蚕は香淳皇后から美智子皇后の手により今も守られています。中国の言い伝えの中にこんな逸話が残っています。中国の皇帝の黄帝という帝王の后である西陵(せいりょうし)がある日クヌギの木の下の枝に蛾が繭を創っていた様子を見て、面白くてそれを持ち帰り、遊んでいる内に湯の中へ落としてしまった。それを箸で拾おうとしたら、繭が解れて艶やかな糸に・・・!その糸を集めて織物にしたのが、絹織物の起源のようです。そうした話は以前染色家である吉岡先生に学びました。アジアの国にも后が蚕の繭を冠に偲ばせ嫁いだ話などもあり、いろいろな経緯で織物が普及した話はあります。いずれも夢のあるお話のようです。日本の伝統のキモノへのご苦労をもう少し詳しく知って頂きたいものです。職人が廃業しては今後後継者は容易には生れない現状があります。












by kuyugengen | 2018-08-01 19:58 | よもやま雑宝帳