“蓮は、泥中より出でて清し”枯れ蓮の頃になると、どこかもの哀しく思えます。しかしこの枯れ蓮を使い“釜敷き”などが作れたら、また別な生命が宿るように感じます。身近な生活の中にあって、つい見落としますが、“茶道具”として使うことができたら、この上ない幸せです。枯れ蓮は時間をかけてゆっくりともどし、平らな煎餅状態になれば okです。それを良く乾かして、漆を塗ります。煎茶などで使う時は、可愛いいぼうふらを乗せますので蓮も小さくて、漆の必要もないでしょう!しかし抹茶で使う場合は、風炉の釜敷きや瓶敷きに使いたいので、この場合を考えて、漆を施しました。一般的には文人煎茶会などでは、可憐なる枯れ蓮が登場します。私は是非抹茶に用いたかったので、少しの間、心に温めていました。蓮は仏事を連想いたしますが、文人の世界では“恋”をイメージしてロマンテックな表現で用いられるようです。時候では“蓮の実ご飯”も美味なるものです。おもてなしの一品として、ごちそうに付け加えてももごちそうですね・・・?
“蓮は、泥中より出でて清し”枯れ蓮の頃になると、どこかもの哀しく思えます。しかしこの枯れ蓮を使い“釜敷き”などが作れたら、また別な生命が宿るように感じます。身近な生活の中にあって、つい見落としますが、“茶道具”として使うことができたら、この上ない幸せです。枯れ蓮は時間をかけてゆっくりともどし、平らな煎餅状態になれば okです。それを良く乾かして、漆を塗ります。煎茶などで使う時は、可愛いいぼうふらを乗せますので蓮も小さくて、漆の必要もないでしょう!しかし抹茶で使う場合は、風炉の釜敷きや瓶敷きに使いたいので、この場合を考えて、漆を施しました。一般的には文人煎茶会などでは、可憐なる枯れ蓮が登場します。私は是非抹茶に用いたかったので、少しの間、心に温めていました。蓮は仏事を連想いたしますが、文人の世界では“恋”をイメージしてロマンテックな表現で用いられるようです。時候では“蓮の実ご飯”も美味なるものです。おもてなしの一品として、ごちそうに付け加えてももごちそうですね・・・?
この度の茶事は、ご高齢である連客さまの為に、立礼席“九游”で懐石を用意しました。
初秋の思考で“虫籠”などを使って、その中に八寸を盛り込みました。京都和久傳さんの松茸と畳いわしをあぶり、二種盛りといたしました。毎月の茶事を行ってきましが、本懐石を行うには、台所と冷蔵庫が広くなくては、手順が悪く、自分が給仕するのに、しんどいナと、つくずく感じました。立礼席でのおもてなしはお客さまは、楽でしょうが、亭主は勝手が違いやはり大変です。これも“慣れ”が必要のようです。今回は、脇取りを置くためのワゴンテーブルも用意しました。しかし、勝手元の段取りが一番大切です。やはり“九游”での食事は、半懐石にしょうと、反省した一日でした。やはり経験は最良の学びですね。