永井百合子が提案する・・・遊びや茶事の愉しみ


by kuyugengen

雛のおかし



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♪「ひちぎり」は京のお菓子雛まつり 蓬つみてや春を寿ぐ♪

春の訪れを感じる季節となり、京都で生まれた和菓子に「ひちぎり」があります。「ひちぎり」と呼ばれるようになったのは、忙しい宮中で人出が足りず、餅を丸めるのではなく、引きちぎるようになったことから、命名されたようです。そのうち、体の邪気を祓う草とされる蓬に変わり雛の節句には、欠かせないお菓子となったようです。



# by kuyugengen | 2024-03-08 16:40 | 日々の楽しみ | Comments(0)
早春のお菓子  「初音」_d0133199_15181946.jpg
早春のぎこちなきかな鶯の声に目覚めて 窓の灯りや♪

三寒四温もないのか、何と温暖な2月を迎え戸惑います。風邪が流行していますが、皆さまお元気でお過ごしでしょうか?今月は、吉はしさんのお菓子も「初音」と題した練り切りの登場です。中の餡は、“蓬”嬉しい春を感じています。冬が、こんなに温暖であれば、夏は今まで以上の暑さがやってくるのではと心配になります。歳時記どおりの四季が欲しいものです。春になると、金澤泉野町は、お寺の竹林からでしょう!鶯が鳴いてくれて、目覚めた。今でも耳の奥にその鳴き聲があり、思い出されます。




# by kuyugengen | 2024-02-20 15:20 | 日々の楽しみ | Comments(0)

落語と私

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70代の身体の変化は著しく、5年の間、次々と身体に不調の症状が現れました。その都度真剣に対処しましたが、一番大変に感じたのが、精神力を踏ん張ることでした。私は、落語を聞くことで、精神の安定を得ました。古典落語の中に、上方落語・や江戸落語がある。今ではライブを聞くことも叶わない名人の数々です。私は毎日寝る前にベットの中でラジオを聞いています。落語の演目の中にある、高い技量が要求される「らくだ」という落語、決して趣味の良い噺ではありませんが、「鼻つまみ者」同士2人が主役になっていて、決して同類にはなれないであろう屑屋さんが登場して大きな面白みを表現しています。

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ストーリの中の人物は「らくだ」と呼ばれる嫌われ者である。主人公は、死体として登場して演技までする。珍しい構成の大ネタとなっています。落語の特徴は、言葉でつないでいく芸術だから、比較的矛盾がバレにくい、時間塾で流れていく言葉の積み重ねであり、前に言ったことはすぐ過去になって消えていきます。その瞬間に信じ込ませることができたら、よくよく考えたら矛盾していたとしても違和感もない。落語の魅力は、独特の語り口にあり、落語家が噺家と呼ばれるゆえんで、間合いの取り方が、聴衆を飽きさせない遊び心のあるセリフが観客の笑いを誘う。
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噺には「落ち(オチ)と呼ばれる結末があり、考えさせられる筋だてに驚きがある。落語の凄い所は、座布団と扇子だけでひとりひとりの想像力の中で大きく膨らむ凄い芸術。ブームのある無しはあっても、日本人の心が豊かであればこれからも続いていく完成された芸能であると思うものです。


# by kuyugengen | 2024-02-07 10:08 | 日々の楽しみ | Comments(0)

芥川龍之介の短編・「松江印象記」を読んで_d0133199_13284703.jpg

文豪と松江と芥川龍之介・日記形式で書かれた「松江印象記」を読んで感じたことを書いてみました。日本の文豪の中には、島根県に魅力を感じていた人が多く居ます。ちなみに松江を訪れることを来松・出雲を訪れることを来雲と呼ぶようです。芥川はこの短編を書くにあたり、17日間の滞在で23歳であったようです。丁度“羅生門”を発表する3か月前であったそうです。この「松江印象記」は、現在の山陰中央新報の依頼で連載された作品のようです。松江に来て、先ず自分の心を惹かれたものは、此市(まち)を縦横に貫いてゐる川の水と、其川の上に架けられた多くの木造の橋とであった。愛すべき木造の橋梁を松江のあらゆる川の上に見出し得た事をうれしく思ふ。と冒頭より描かれています。これを読むと自然に納得!まず飛行機が降下する瞬間宍道湖に突入するのではという不安とワクワク感を感じたものです。

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以前は確か、木造の橋が幾本もかかり、現在は、たおやかな堀川めぐりの舟が一艘水面にたゆたい観光に一役かっています。松江大橋は宍道湖の景色ととけこんで、美しい川筋に大橋館という古い歴史のある旅館があり窓辺から望む景色は、言葉にならない。松江市は、今も昔もさしたる変化は少なく、この所一つあったデパートが無くなったことであろう。殊に月照寺に於ける松平家の廟所と天倫寺の禅院とは最も芥川の興味を貫いたものであったようだ!
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そして近年国宝となった千鳥城の天守閣「葦の茂る堀を見下ろして、かすかな夕日の光にぬらされながら、かいつぶり鳴く水に寂しい白壁の影を落としている。」と美しい言葉にいろどられ、愛すべき木造の橋梁を松江のあらゆる川の上に見出し得た事をうれしく思ふ。晩年を迎えた私も故郷にタイムスリップした気分です。宍道湖の夕日はゴッホにも描けないと賛辞したものですが、石見の波根海岸で一泊したが「うつくしい。あそこいらの丘の景色はセザンヌの描いたものを見るようだね。」と喜んだという。芥川龍之介が言い残した「水に浮かぶ睡蓮」のように、いつまでも、いつまでも美しくあってほしいものです
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私も故郷を思い出して短歌を詠んでみました。

夕映えの湖畔の夕日目にしみる 沈む刹那(せつな)の余光愛しき


# by kuyugengen | 2024-02-04 13:40 | 日々の楽しみ | Comments(0)

腎不全と私


今年は、めでたく76歳を迎えることとなる。私は生まれつきの腎臓病のようで、現在では、腎臓の中に大きな嚢胞(のうほう)までつくっています。腎臓病事態に症状はなく、少し疲れやすくなった位です。臨床検査では、尿中にタンパク質がでて、クレアチニンの上昇が確認される。そして腎臓は、過酷な仕事を静かに請け合い、ゆっくりと進行する病気です。無言の臓器と呼ばれる自覚症状のない病。尿をつくるために、小さな球状の血管100万個が働いている。おそらく用を果たせなくなった糸球体は、固くなって静かに休むのだろう!腎障害を表す所見が基準になり、数値の高い人が、腎機能の低下ということになるようです。

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もう一つはeGFR推算糸球体ろ過量)という指標腎臓が1分間にどの程度、尿の元をつくるかが解るようです。これは、数値の低い人ほど腎機能が低下しています。この二つの指標と、尿中のタンパク質から腎臓の状態を評価するという。生まれてこの年齢まで、懸命に働いてくれた腎臓さまには、心から感謝しています。腎臓病には、血圧のコントロールと栄養管理しかないので、後は、透析という治療法しかないようです。私も先日透析の準備のシャントを血管に繋ぐ方が良いと腎臓先生から説明を受けた。腎機能が、ダメになってから、透析を行い生きることは二度目の人生を生きること。私もロボットになった気がする。もう少し今まで通りがんばり、仰せに従うことにするのだろう!お蔭さまで、五十年近く“生きがい”ある仕事をしている。お蔭で76歳も頑張れる。有難いことです。1日1日を感謝して頑張ろうと思う


# by kuyugengen | 2024-01-29 13:07 | 日々の楽しみ | Comments(0)